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Trans Quadra 2003 / 大西洋横断ダブルハンドレース 第2レグ 衛星電話中継
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 気象海洋の Fortissimo Wx Room Fortissimo用気象、航跡情報のHPです。黄色い線が大圏コース、航跡は青。2月2日にポルトサントをスタートした後、刻々と位置が分るので、お楽しみに。

風が平均5mなら入賞、7mで上位、10mでちょぼちょぼ、15m以上なら順位は2の次、サバイバル。ちなみに第1レグは、15m以上でした。


技ありの安くて楽しいファミリーツアー

19, January 2003  日曜日 北西の風 5‐8m 曇り
いよいよレースが近くなってきました。今日はテレビの取材で稲垣、辻君とセーリング、カメラの奥田君は28ftのヨットのオーナーで、揺れるデッキでもカメラワークは慣れた物で安心して被写体になっていました。風もあって、良い映像が撮れたでしょう。愛妻はカメラが嫌なのか、寒いのか中から出て来ません。
インタビューの高橋さんも今までの取材でも3番目に良かったそうです。寒いので申し訳なかったですね。

22, January 2003 水曜日
今日の読売新聞、山本さんのインタビューがカラー写真入りで大きく報道されました。否応なしにその気になってしまう。頑張るゾー。昨日のテレビを見ていた人も声をかけてくるし、恥かしいナー。
ポルトサントのホテルが改装でクローズになった。別のホテルを探さなくては。今日のポルトサントは西風、向かいだ。死ぬー。10m以下のフリーでないと勝ち目は無い。ユニクロにフリースを買いに行く。15年前のハワイ−広島もユニフォームはユニクロだった。そのころのフリースは欧米しかなく、高かった。ユニクロさん有難う。

25, January 2003 土曜日
土曜日も製造業の中小企業は働くのだ。何か忘れてないか、気になってしょうがない。5時になってサラリーマンらしくボスに挨拶して一目散に駅へ。駅前駐車場で着替えて、新幹線で新大阪へ行く。缶ビールを飲みながら、書いてます。今日は何と愛妻の誕生日、僕より3歳も若い。本人は2週間前マレーシアで25歳に間違われたと喜んでいたが、、、冗談、冗談。幾つになってもカワイイねー。愛してるよ。
新大阪で愛妻、嫁いだ娘と落合い関西空港へ。ここ日航ホテルは唯一空港内にあって朝寝坊出来て最高、部屋もアップグレード、最上階のレストランで愛妻の誕生祝い。ワインも2本サービス。いいねー。飲んだくれて居る内に岡田夫妻も横浜から到着して合流、ちょっと飲みすぎました。

26, January 2003 Sunday
朝起きて、パッキングをチェックすると、パソコンの電源アダプターが無い。ギェーー!新幹線に忘れた。海外旅行は忘れ物旅行、財布にカメラに老眼鏡に、でも今度は深刻、情報が取れない、仕事が出来ない、レースにならない、というぐらいに大変なのです。空港内の電器屋にも無い、タクシーで、本土の電器屋へ、何処にも無い。空港タクシーの浦川さんは熱心に探してくれて、コジマ電器関西空港店の國吉さんが、展示品のアダプターを特別に提供してくれました。大感謝、感激。浦川さん、國吉さん有難う御座いました。地獄に仏様、いつもいろんな人達のお陰で生きているのです。

慌ててホテルに帰り、空港にチェックインは一番最後。アーーアア疲れた。朝飯も食えず、皆も疲れてますねー。空港で右から夏子ちゃん、岡田豪三、奥さんの弘美ちゃん、愛妻の愛子ちゃん。
で、何とかエールフランスAF291便は僕達を乗せて日本からパリに飛び立ったのです。シャンペン、ワインを飲んで、ようやく落ち着きました、ホーーーット。
シュワッチ!!。っとハバロフスク上空だ、12時間乗っても5時間しか経ってない、7時間は何処に行った ダ ?。お日様と一緒に西にむかうので荒涼としたシベリアが良く見える。アインシュタインの相対性理論を思い出しました、何だっけ。酒を飲むと哲学的になる。義父も終戦後シベリア抑留されていたんだ、大変だったろう。酒を飲むと感傷的にもなります。

27, January 2003 Monday
リスボンに来ました、ドッシャ降りでクソ寒いパリと違って、太陽がさんさん、暖かい。
岡田は風邪で休養、2.35ユーロの「一日中、何でも、何ぼでも乗れる券」をあちこち訪ね歩いてゲット、娘も頼りになる。5人で市電に乗ってべレンへ買出しに。

ポルトガルのおじさん達は親切、嫌味ではなく自然的に声をかけてくれる。ハーバーや大発見モニュメント、海上にあるべレンの塔の写真です。おじさんに教えてもらった有名な一番古くて美味いタルト屋、と言っても歴史は奥の大きく清潔なトイレで実感できる。
で、日本で言う卵タルト、こちらではパステイス デ、ナタ とエスプレッソをいただきました、こんな事、女性同伴じゃなきゃ、有り付けない貴重な経験でした、日本女性の魅力と執念恐るべし。

食う、買う、観光が日本女性の新しい3Kなのだ。ビックリする位に日本人が多い。老若問わず、それも女性が目立つ、元気が良いしたくましい。日本男児とは昔の話、男は大変だよねー。仕事と家庭でで疲れっちゃうもんねー。マリンショップで備品を調達して、神風チンチン電車に揺られてバイシャへ帰りました。もークタクタ。

で、有名レストランのガンブリーノスで食事。日本語街呼び込みのレストラン街で、ひっそりと閉まっているかと思う店、5人で楽しく美味しいランチ、ワインも美味い。程良く酔って、ホテルに帰ってバッタン キュー。

その後、体調回復した岡田と何処に行ったやら、皆が寝てしまった夜中に目が覚めて、どーすりゃいいんだ。しょうがないので一人淋しくワインBSEを飲みながらメールをチェックしたり、会社に電話したり。げげっ、アーア、タバコが無くなっちまった。どないしょー。出発前のドタバタで命のタバコを買えなかったのです。

灰皿からシケモクを探して火をつけて、ほどほどの幸せを感じているリスボンの真夜中。ナンチャッテ、「ニタリと笑う俺の心のドン ジョバンニ。」(盗作)

28, January 2003 Tuesday
朝だーリスボンからポルトガル航空TP4663便でマディラ島のフンシャルへ。晴れ、気温26度 短パン、Tシャツの人も居る。
15時ホテル Quinta da Penha de Franca にチェックイン、プールサイドで一休み、4ッ星だが格式のある良いホテルです。飛行機、ホテル全てインターネットで予約、カード番号を連絡、決済したのですが、紙切れ一枚も無く、不安でしたが、問題ない。便利ですねー。

緑の多い石畳の道を散歩しながらフンシャルの街へ、公園で街と港をバックに岡田ファミリーをパチリ。
皆は買い物、僕はビール。女性達は、パリよりリスボン、リスボンよりフンシャルの方が良い物があるとはしゃいでました。歩き疲れてビートルズのヨットを改造したレストランで岡田にご馳走になる。

29, January 2003 Wednesday 曇り時々晴れ 20度、北東の風 20m 白波びょンびょン


ポルトサント行き飛行機に乗るまで時間があるので、島を観光。Tonyの案内でヨーロッパ1番の断崖、1200mの山越えして北側の町を訪ね回る。山の斜面にこんな所にどうして?と思うくらい家や畑が点在する。

ポルトサント行きの飛行機は宮崎アニメに出てくるような高翼双発プロペラ機、強風の中、何とかポルトサントにたどり着いた。やれやれ怖かった。

ホテルに着くと、レース参加者達30人位がディナーの真っ最中、我々を拍手で迎えてくれた。片っ端から握手するが、名前を思い出せず、冷や汗ものだ。

Porto Santo は天国

30, January 2003 Thursday 曇り 、気温18度、北東の風 20m

今日もドン吹き、船を降ろすのに時間がかかり、最初に揚げたFortissimoは最後になるので、明日の昼頃になる。船内の整理、買いもの、タクシーが居なくてらちがあかないので、レンタカーを頼む。車はHyundaiの小型車、Trans Quadra2003参加なので安い、三日で75ユーロ、9000円くらい、タクシーより遥かに安い。これで買い物もはかどる。
早速買い物、ビールにワインに、、、、。
ディナーはTrans Quadra 2003ディナー、プレジデントのJean Poulの親切が有難い。彼はソフト会社を持っている。いろいろと我々に気を使ってくれる。
Prejident Mr. Jan Paul と岡田
31, January 2003 Friday  曇り時々晴れ、気温18度 北東の風 15m

いよいよ船を降ろす日、Fortissimoが一番最後。マストトップのVHFアンテナは風で吹き飛ばされて行方不明。携帯VHFとイリジュウム携帯電話でコミッティーに了解してもらう。スターンにアルゴス発信機を取り付け、大型クレーンで運び降ろす、エンジンも軽快に始動、やれやれ。よーやlく他の参加艇に横付け、。
ここPorto Santoは人口3000人の小さな島だが、ヨットクラブは、立派で、宿泊設備も2段ベッドが10床と最低限だが、トイレ、シャワーと遠来のヨットには有難い。

セールをセットして、整理、ウィンチも分解掃除、果ては10年ぶりにマストに登ってスプレッダ−のダクトテーピング、よー働くは。

女性陣は観光。空港に行って帰り便のコンファーム、原君お勧めのEspedata肉の串焼きレストラン探し、結局見つからず、ホテルに帰ってシャワーを浴びていると、コミッティがディナーに来いと、待っている。毎日のレース参加者のディナーで、今日は我々だけでディナーをしようと思ってたのに、捕まっちまった。迎えの車の後を付いて行くと、どんどん山の中に入っていく、やれやれどこに行くんかなー。 民家のマディラワインの納屋に、皆が集まってワインを樽から飲んでいる。狭い醸造所に立錐の余地が無い位の混雑の中、美味いワインとツマミをいただいて、帰ろーかと思っていたら、下の民家でディナーが始まった。
,,広くはないが十分、ビュッフェスタイルのディナー、肉も野菜も美味い。ワインは飲み放題で、その内に音楽隊が来て皆も大いに盛り上がり、女性軍はダンス、僕も前に引っ張り出されてテーブルの上で踊るはめになりました。
まーこんな楽しいディナーは、レース参加のおかげ、こんな美味しい案内にも看板も無いレストランで楽しめて、最高。フランス人は乗りが良い、人生を楽しむ国民なのです。今は夜中の1時です、そろそろ寝なくては、日本では朝の10時、頑張りましょー。



1, February 2003 Saturday 曇り 気温17度、 北東の風 10m
いよいよレース前日、ホテルをレンタカーで出発するところです。

セールを揚げたり、儀装のチェック、軽油、食料の買出しと忙しい、毎日レースのブリーフィングがあるがフランス語でちんぷんかんぷん。後で女性スタッフが親切に英語で教えてくれる、助かる、メルシー。昨日のパーティーで人気者になってしまい、シャイなフランス人が声をかけてくる。



今日のパーティーでは歌わされるかとびくびくしてしまう。

昼飯はタコ、イカ、鰯に例の美味いパンにガーリックバターをぬったBolo do Caco、牛肉の串焼き Espetada、魚介類は塩味で日本人にも美味しい。

昼飯が終わって船の整理をしているとコミッティーがスクリューの固定に来た、エー、また、何でー?。フランス人はいい加減でキッチリ、この塩梅が我々の理解を超えている。日の丸とマディラの旗も揚げたし、準備OKかなー?オーパイ4000の組み立てをするが、初期化が出来ない、走りながらやるか。


パーティーはカクテルを飲んで、えんえんとおしゃべり。ビュッフェスタイルでディナー。今日は、Port Santoの音楽舞踊、呑むほどに酔うほどに、ダンスして。フランス代表の歌に続いて日本代表の歌になってしまいました。フランスは格調高くうたいあげたので。どないしょーと皆で話し合って「かもめの水兵さん」「真っ白き富士の根」「琵琶湖周航歌」最後に「東京音頭」を歌いました。こんな所で日本の歌が流れる事は空前絶後、皆も大喜び、キッスのあらし、男にまでキッスされてしまった。

どん吹きの大西洋、最初の10日はぶっ走り
2、February 2003Sunday 曇り、北東の風、10m
レース当日、慌しく家族との別れ、11時にはボートに引かれて出航。スタートは16時。2ポイントリーフメインで沖をうろうろ。船も我々もびしょ濡れ。15時45分シングル20隻がスタート、やっとの思いでジブを揚げて、ラインの本部船側からスタート。風が強く、ジブを効かせメインは逃がして走る。家族の待つ上マークはIMX40の前5位で回航、お互いにちぎれるほで手を振る。第2上マークは第1レグ1位のスプリント108を抜き3位で回航。
やれやれ、と、思ってたら後のスプリント108はスピンを揚げた。何ーー?。この風でオリンピックコースならまだしも大西洋横断ショーとハンドだぞ。我々はフルメイン+レギュラーで10ノット、プレーニングで20ノット、バウは波に突っ込んでしまう。それでもスピンとは、恐れ入りました。農耕民族と狩猟民族の違いか、
スピンを上げるなんて考えもしてませんでした。まだ始まったばかり、先は長い。でも、参った。

3, February 2003 Monday
強風、フルメイン、レギュラーで10からプレーニングで18ノット。ティラーを引きっ放しでティラーのボルト2本が落ちて慌てて1本ナットを回収、修理。ブームやバングのあたりから変な音がする、トラブルだけは避けたい、なんせ大西洋だから電話で助けを呼ぶことも出来ない
ジャイブ3回
20年ぶりの船酔い、パソコンをやっていて気分がわるくなり、ゲーゲー。.酒も飲む気がしない、と言う事は重病なのかなー

4, February Tuesday
強風、フルメイン、レギュラーで10からプレーニングで20ノット超える。ジャイブ4回
夜半ブローチングを何度も繰り返し、やむ終えず2ポンへ。
5, February Wednesday
強風2ポンから、フルメイン、2ポンへ2回レギュラーで6からプレーニングで18ノッ
ようやく酒を飲みたくなって、ナントで仕入れたボルドーのロゼを飲む。
6, February Thursday
毎日サポートのシーホース原さんと電話連絡しており、掲示板BBSに書き込んでもらうようにしたので、そちらを見てね。
強風、朝2ポンからフルメイン、レギュラーで6からプレーニングで18ノッ
7, February Friday
朝、日の出のキレイな事、夜中のワッチが終わってやれやれ。メールが開けない、何時間もかかって数件、何か変なメールが多い。愉快犯だろうが迷惑この上ない、おまけにいかがわしいメールを発信したようになっている。こちらに来る前定期的のい来るメールを拒否したからか。
お陰で狭いバースど横になって何時間も作業。ワインが1本開いてしまった。
ジャイブして南下、しばらくすると波も収まり最高のセーリング
8, February Satyrday
日の出とともに地獄の夜間交代ワッチが終わり、またパソコン、メールはあきらめ他艇の航跡図収集にチャレンジ、1時間掛って、手に入れました。Fortissimoは207南に居ます。こんなに走っているのにこのポジション、信じられない。毎日実質10ノット平均で走っているのにまだまだ速い奴がいる。フランス人はすごいヨットマン。
TransQuadra ホームページの航跡図、真直ぐ線が引いてありますが、実際は北東の風に対して45度ずつ210度か、ジャイブして300度で走っているのです。


9, February Suanday
夕方から夜半、夜明けと波も悪く、頻繁にスコールが来ます、波頭が風に飛び、セールを引き込んで船を真ランに持っていくため、ブローの度に舵を引きっ放し。ブローチングの夜、ぬれたベッドでしばし1時間の仮眠を取りながら交代で舵を引く。、

夜明け前の3-4時間は最悪、疲労困憊、眠くてたまらない、ついウトウトして波にバウが振られるワイルドジャイブの繰り返し、岡田は頭に名誉の軽傷。
気象海洋の馬場さんの意見通り北緯22度ラインまで南下。ラムラインではジャイブの繰り返しでジグザグに走るので距離も伸びる。

今日は日曜日、夜明け前に降ろしたジブはそのままに、2ポンメインだけでも6‐9ノット。船も今日は日曜日、ノンビリ。
久しぶりにビールを飲んだし、しこたま仕入れたワインでも呑むべー。食事は人が居ないのでカップめんが一番手軽に出来る。今までカップめんは持ってこなかったが、今回は岡田が持ってきてくれた。食えないと思っていたが、ラーメン、焼きソバ、うどんとみな美味い。

ちなみにトイレは2人共スターンでの自然脱糞。快適、清潔、健康そのもの。「大西洋 脱糞感は ネイビーブルー」??
やっとこじ開けたTransQuadraのHP、航跡のページを見て小躍り、Fortissimoだけが南下。よっしゃ、北の高気圧が予定通り南下したら、
我々が有利になる、一発逆転。この頃まではメチャクチャ頑張っていたのですねー。見方によってはトップの位置かも。207一番南に位置しているのがFortissimo。

Trans Quadra 2003 Home Page

10, Februart Monday 晴れ、北東の風 8‐10、 波高4m

朝、ジブセールを上げようとしたら、ラフのボルトロープが破断、船上で修理出来るような破損ではない。
1枚しかないジブせールが使えないとは、もっと大きなゼノアはあるが、計測を受けてないし、レーティングも取ってないので使用出来ない。
トホホ、呑むっきゃない。赤ワインにしよう、赤はボルドーに限る。これが昼飯。
岡田も元気で学生時代と変らない、お互い若いねー。
スタート以来、連日10‐15mの北東風、波高2‐5m。もう1週間吹きっぱなし。
Transquadraのホームページで航跡を確認、何、何と、北の艇団が伸ばしてる、アチャ−、高気圧の南下は無かった様子。ガックシ。

11, February Tuesday 曇り、北東の風 5‐10、 波高4m
朝、バウに縛っておいたジブセールが流れた、流れ止めネットを切って流れている、慌ててキャビンから裸足で出て行きセールを回収、コックピットに帰る直前、足を滑らせて艇外へ。
一瞬「落水」の文字が、何かつかむ物は無いか?、無い。やばい、どないしょう、

原に定時連絡をするとエルブ−サブスッタッドの庄崎さんがジブセールの補修方法を連絡してくれた。なるほど分りました。有難うございます。
深夜のワッチでもー腰が痛い、ケツも痛い、ティラーを引くたびに「いてて、、テ」となる。ワッチが早く終わらないか時計ばかり見ている、これがワイルドジャイブの原因の一つ。30分は経ったろうと思うと、なんと3分しか経ってない、時間は深夜には延び縮みするのだ。

12, February Wednesday  快晴、北東に風 8‐12m 、 波高4、m
パソコンを引っ張り出してインターネットに繋ぐと、気象海洋の馬場さんFortissimo Wx Roomが開いた、北緯20度以南は確かに風、波とも強い、このままスターボーのタックを伸ばして西に向かう。
昨日は直線距離で計って190マイル。まあまあ、もー疲れたよ。

あれっ、ティラーがブレる、クオーターリーで5‐6ノットの低速域での波乗り時に現れた。ラダ−ブレードのバイブレ−ションとは明らかに違う。
何故だ?と思っているとスコールが近寄ってきた、来る前に2ポイント リーフ、強風とともに、したくなくともプレーニング、10‐15ノットオーバー、恐れていたバイブレーションは無い?
ラダ−シャフトとティラー取付部のガタはない。ラダ−トラブルは致命的で、場所からして艇体放棄に追い込まれる、ここまで来たらリタイア−はしたくない是非完走したい、
今日の情報では4‐5艇がすでにリタイア−してるらしいが。現状の最小限セールエリア、メイン 2‐ポイントリーフ、ストームジブで行こうと思います。原因は、シャフトとスリーブののブッシュの問題か?明日シーホースの原に電話して聞いて見よう。

船も我々も疲労困憊、で、ペースダウン

13, February Thursday  曇り 北東の風、7-10m、波高4m

ラダ−シャフトあたりから音も聞こえはじめる、最悪の状態ばかり想像してしまう
夕方の雲は見ていて、飽きる事が無い。そりくりかえったサンタさん、ベル型ヘリコプター、、、、、

14,February Fryday 晴れ 北東の風、7-20m、波高5m

夕方20m超えの強風になり、メインを降ろす、ストームジブだけで走る、この時を利用して、岡田がティラー下のハッチを調べ音の原因を突き止めた。ドンドンという音はラダ−でなく一安心だが、バイブレーションと遊びは大きくなっている。岡田が米を炊く、米は最後の非常食と思っていたが、カップめんもパックご飯も終わってしまい、止む無くご飯を炊いたが、さすがに岡田のご飯は年季が入っていて美味い。買出しは男がするべきです、男は必要量の300%位買うが、女性はキッチリ105%くらい。

15, February Saturday 曇り/晴れ 12m、波高4m

ラダ−の音の原因が分ったのでメインをフルにしようと思っていたが、風が強くて2-ポンのまま。一時風が落ちてもすぐに吹きあがってくる。ラダ-の遊びが大きくなってきた、無理は出来ない。

16, February Sunday 晴れ 12m、波高5m

波が高く、風も強い、何も出来ない。夜は最悪、視界が無く、眠い、12時までは2時間交代、12時以降は1時間半。明け方の3時から7時まで睡魔との戦い。毎晩の強風と波の悪さで、うっかりウトウトしてると、ドッカーンとワイルドジャイブしてしまう。船が壊れそう。今回のレースで10年分のワイルドジャイブをしてしまった。 ようやく西経50度を越えた。

17, February Monday 曇り/晴れ 8-12m、波高4-5m

虹 が毎朝見れる。海の色はネイビーブルー、ネイビーブルーはこの色だった。
今日こそフルメインと思っていたら、また強風。夜通しのスコールとの格闘でへとへと。スコールからは逃げられる事はあっても、前線の雲からは逃げられない。なみの悪さも相変わらず、後からだけでなく右から左から、何でこんな波ができるのか不思議。波が鳴門の渦潮のように見える。プレーニングして波頭に立ち、見ると5mの断崖、ヤバイ。とっさに斜滑降しようとティラーを切るが、スロープが急すぎて、横向きにドッシャーン。

18, February Tuesday 曇り/晴れ 8-12 m、波高5m

メインシートトラベラーのブロックシャックルがぶち切れた、メインセールを降ろし、付け替えるが、風が強すぎて、メインは上げられない。ストームジブだけで走る。それでも4-5ノット、7ノットにもなる事がある。いらいらしながら走ること4時間、風が落ちたのを見計らってメインを2-ポイントで上げる。今日はマルティニ−クが見えるはずだ。
大型ヨットが視認出来る。VHFで連絡を取る、ポルトガルのMACAUだった。彼等もLe Marinに向かっているが、風が強く危険なので明朝Le Marinにアプローチするとの事。こちらはレースなのでこのままフィニッシング ラインへアプローチすると告げたが、一瞬、我々も夜明けを待った方が良いかなとは思った。

フィナーレは圧巻、Inglish Bayの岩礁帯に40ノットの風と共に突入、華と散る。あー神様!!
19, February Wednesday 曇り/晴れ 8-15m、波高5m

朝2時頃、雨の中ようやく灯台の明かりを視認。やれやれと思う間もなく風はどんどん吹き募り、ブローチングの連続。岡田がメインを降ろそうと意見があったが、フィニッシュ真直で降ろす決断が出来ない、無理をして頑張り続ける。今日はフィニッシュ出来るという興奮からか2人共寝られない、たまに仮眠を取るだけで交代で頑張ってしまう。

マルティニ−クは大きい島だ、町の明かりをみながら南下。7時頃、とはいってもこちらではまだ夜中の3時。早くフィニッシュしたい一心で腰とケツの痛みをこらえながらティラーを引き続ける。さっき岡田の意見に従うべきだったと思うが、早くフィニッシュしたいし、、、。
時間的に島の南端を回りこんでLe Marinにフィニッシュする頃になった。あと1時間位でフィニッシュ出来る。VHFでレースコミッティーに連絡を取ろうとするがつながらない。雨が降り続き視界は悪く、風は強い、40ノットの北東の風にブローチングを防ぐためティラーを引きだんだん島に近寄ってしまった。

波は大きなうねりに変り、プレーニングしながら「ぎぇー、何だこれは!」周りは白い波、波といっても全面真っ白。どうする事も出来ない。前も後も真っ白な波に乗って15ノットで突っ走って行く。「ちょっと待て、闇夜のなかに点在する岩らしいものが見える、アレッと思う間もなくドッカーンという衝撃と共にまた次の岩にぶち当たる。船が止まった。波が上下する度に暗岩が顔を出す。

座礁だ。船は波翻弄されながらドーン、ドーンと岩に打ち付けられる。沈没は時間の問題。横倒しになるのを防ぐためメインせーるを降ろし、ライフラフトの固縛をナイフで切断いつでも下ろせるようにする。暗岩だらけ周りの状況から脱出は不可能だろう、いずれ浸水、沈没だろう。岡田は冷静なのが心強い。沈むまでは船から離れないようにしよう。2人とも最初から膨張式救命胴衣とハーネスはつけている。取り合えずパスポートだけは持って行こう。

脱出はもはや不可能と判断し、アルゴス無線機の緊急スイッチをONにする。これで我々の座礁場所も分るだろう。明日はヘリコプターでも来るだろう。
ドン、ドンと岩に打ち付けられながら、妙に冷静だ、あっけないものだなーと思いながらまさかこんな事が現実になったとは信じられない。
しばらくすると大きな波と共に暗岩群から離れた、そのまま強風と白い波とともにもっと岸よりの岩礁帯に突っ込んでいく。。ガーン。ドーンと岩に乗り上げてしまう。船は相当傷んだだろう。浸水してないので岩に打ち付けられ続ける船の上で、いろんな思いが浮かぶ。次の船はどないしょー。

幸い風は岸に向かって吹いている。もっと岸に近寄ったほうが泳ぐのも楽だ。そうこうするうちに蔡で岩礁を離れた。
岩礁地帯からまだ岸よりの小さい島にキールをガツン、ガリガリ、とキールやラダ−を岩にぶち当たりながら流されて行く。ようやく小島の岸に座礁して止まった。神様を信じる事は無かったが、これは奇跡としか言い様が無い。バッグ1つは持ち出せるだろう。ごそごそと貴重品、当座の衣類を押し込む。

命は助かったが、新聞、警察の事情聴取もあるだろう、船の回収費用はどの位かかるやら見当もつかない。
幸い岩礁地帯の中で波もあまり入ってこない。奇跡的に浸水は無い。レースコミッティーに連絡を取ろうとVHF、衛星電話、GSM電話を試すが連絡取れない。アルゴスの緊急信号で場所は分るだろう。残っている最後のワインを飲み干して、さーて、どないしょう。

奇跡の生還、船も軽傷。アフターレースは酒池肉林で楽しいな
20, February Thursday
VHFで呼びかけがある。状況と位置を連絡する。そのうち10時頃になって夜が明けた、こちらの時間では6時頃だろう。所在無く回りの景色を楽しんでいる余裕も出てきた。こんな素晴らしい経験が出来るなんて俺達はなんて幸せなのだろう。

空が白みはじめて来た、風もだんだん収まり、波も小さくなってきた。もしかして自力脱出出来るかもしれないと希望が湧いてきた。何とか自力で脱出しようとエンジンを始動何度かのトライで岩から離れた、隣の小島を回りこんで出ようとするが浅くて進めない。船を傾け、ジブを上げたり、とうとう動かなくなった


岡田といろんな話をしている内に、モータボートが近づき、50m位先で男が海に入って泳ぎ始めた、漁師かなと思っていると、彼は我々のほうに泳いできた、コーストガードのGolfだった。
船の状況を潜って調べたが、モーターボートで引っ張っても無理らしい、満潮に合せて再度来ると言って、去っていった。
スプリント108のザビエが泳いで来た、彼等も心配して来てくれた。彼は日曜日にファーストフィニッシュした、コングラッチュエーション。彼も英語が苦手で最初はよそよそしかったが、こうしてわざわざ来てくれた。レース中昼間はスピンを上げてランニングに近い走りをしてたらしい。凄い。命も、持ち物も、船までも助かってしまった。コーストガード、警察、入国管理、新聞、マスコミからも逃げられそう。

4時頃、コーストガードのGolfとレースコミッティーのPoulが小型漁船とゴムボートを連れて来た。漁船とモータボートが前へ、ジブハリヤードをゴムボートが左へ、連携を取りながら大きく船を傾けて脱出。バンザーイ。皆大喜び。今日はここに泊まれと言うがなんとかLe Marinに行きたいと漁船の先導で岩礁地帯を抜けて外洋に出た。夢のようだ。
Le Marinに向かう、フィニッシィングラインのM-1ブイを回ったのは日没の7時。海図と睨めっこしながら奥に進んでいく、なんって事だ、こんなにヨットが沢山居る、数え切れないくらいマストが林立している。そのうちPaulがゴムボートで迎えに来てくれ先導してくれた。

ハーバーの一番奥に行くとライトアップされ、周りのヨットが歓声あをあげて祝福してくれた。
船をつけると、もーめちゃくちゃ酒、トロピカルパンチを一気呑み。わーっと歓声があがる、岡田も飲む。本当に嬉しい。今日は人生で最も長い一日だろう。

皆が喜んで迎えてくれる。リタイア−したのに、座礁事故で心配してくれていたようだ。皆との友情を感じさせられ、とても嬉しかった。こんな経験しようにも出来ないよなー。

21 February Friday
片付け
ラダ−ポストから浸水が止まらない、1時間でバケツ1杯くらいなので緊急事態ではないが、早く上袈して修理したい。
座礁騒ぎで、イリジュウム衛星電話が故障。GSM携帯電話はフランスでもポルトガルでも使えたのに、ここでは圏外になってしまう。日本と連絡が取れない。ホテルを探してもらうが、無し。
b
ザビエ夫婦の車で空港へチケットを買いに行く。フランスの学校が休暇にはいるので取れないと言われ、トラベルエージェントではラチが明かず、直接空港のエールフランスへ行く。何とかパリ、オルリー空港行きのチケットを確保した、これでパリ−関空の一ヶ月格安チケットの帰りが無駄にならない。事故があったので予定通り帰れるとは思っていなかっただけに、神様が貧乏な僕を可哀想に思ってくれたのだろう。

22 February Satrday

毎日船に寝泊りし、Mango Bayで食事、レース参加者や家族、ハーバーのスタッフやレストランの店員とも顔なじみになり、ここはなかなか居心地が良い。
毎日レース参加者のためのパーティーがある、もう皆友達。こちらが分らなくても向こうから声をかけて来る。

sparkling charter

23, February Sunday
Macau オンザロックした日に連絡を取り合っていたMACAUと友達になり、連日一緒に飲んだり、食ったり。MACAUの食事はめちゃ美味い。彼等は47フィートのスループで2人でマカオからマラッカ海峡、スリランカ、インド、スエズ運河を通り、地中海、カナリア諸島、大西洋を横断してここマルティニ−クに着いた。今からはカリブ、パナマ運河を通り、娘達の住むバンクーバーに行き、太平洋を横断して世界一周するという。

MACAUのコックピット、 バウのオーナーMr. O Man Seng    ココナツに挑戦するAlbert

海外クルージングはレースに限る。楽しい事や友達が一杯。

24, February Monday
Voile Caraibeへセールの修理を依頼。ついでにフォールドフランスのホテルを手配してもらう。

9時半Jan Poulが来てFortissimoを上架する造船所へ回航。造船所はCarenantillesで、大型門型クレーンで上げると、ボルト3本が切断されキールの先端のバブルが取れていた、あれだけの衝撃で何度も座礁したのだから当然だろうが、バルブキールが身代わりになって船を守ってくれたような気がした。

コミッティーを初め皆が車を連ねて身に来た。この造船所は修理は自分でするらしく、各種儀装品やセールロフト、バーやレストランも揃っていて、安くて美味い。

従業員の中に多田雄幸さんの友達で日本にも会いに行ったという人もいた、Fortissimoが3番目の日本人。 Jocelyne FRANCIETTEがてきぱきと処理してくれた。上架、船台で251.3ユーロ、2ヶ月の保管が628.5ユーロ。作業は各作業毎に専門家とのネゴとなるが各自泊まり込みで自分でしている様だ。
Carenantillesからの景色、  レストラン&バー  昼飯をぱくつく岡田、料理は大きなロールキャベツカリビアンとワイン





Mr. Jan Paul and Madam お世話になりました。メルシーものすごくボク−、トレビアン

Jan Poul が今日は特別の日なのでForld de France に行くのは遅らせてくれと、勝手にホテルやタクシーに連絡してしまった。

今日は我々が早くかえるので、我々を皆が招待してJapanese Dayのパーティーをするらしい。例のテントか、と思っていると、車を連ねて行った先は、Fortissimoが座礁したEnglish Bay 近郊のレストランを借り切って行われた、

総勢150人位の大パーティー、日の丸にちなんで白と赤の衣服、わざわざ白いシャツに日の丸をつけた人も沢山居る。

例によって、ワイワイとカクテルにおつまみをつまみながら、雑談が続く、どうなる事かと心配してると、いつの間にかセットされたテーブルに決められた訳でもないのに収まって、スープ、メインディッシュ、デザートがワインと共に皆の胃袋に納まった頃から、ダンスが始まる。

我々2人が前に用意された椅子に座らせられ、日の丸シャツの女性軍がラインダンスを始めた。その内に我々も引っ張り出されて、一緒にダンス。皆も参加して一大ダンスパーティーは延々と続くのでした。

頃合を見計らっていたJan Poul がマイクを取り、今日のパーティーの趣旨と我々への友情の言葉があり、座礁したEnglish Bay をJapanese Bay と命名した海図を額にしてプレゼントしてくれた。我々も英語をフランス語に通訳してもらいながら、座礁の顛末、皆への感謝の言葉と友情の挨拶をした。10時半タクシーが来て、皆でセ、ラ、ヴィー。これが人生だ。を大合唱。皆との別れを名残惜しみながら150人の新しい友達を残して、会場を後にしたのです。素晴らしい、素敵な人達。海外クルージングはレースに限る。3年後も絶対に来るぞ。

タクシーでフォールドフランスへHotel L'imperatrice に泊まる、

25, February Tuesday
朝飯では典型的なカリブのクレオール人の母娘が居たが、これでもかというくらい脚が長く褐色の肌に10頭身くらいのプロポーション。日本人も混血したら良くなるかもね。
フォールド フランスからパリ、オルリー空港へ向かう。9時間掛って、パリに到着。バスでシャルルドゴール空港に向かう。パリに着くととたんに、電話が掛ってくる、台湾やマレーシアの友人が心配してくれていた。早速日本にも連絡を入れる。アリさんに戻って、働くぞ。

5月の連休に船を修理してバージンアイランドへクルージング。カリブ海、アメリカでしばらくレースしながら遊んで、2005年のTransQuadraには40ftでチャレンジだ。




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