この頃は、船にも慣れ、
リラックスしてますねー
この航海以来、髭をはやす
事になってしまいました。

これを境に風は無くなり、始めて気象ファックスを取ると、「何だ、コリヤー」。
ハワイから日本沿岸までドッカーンと大きな太平洋高気圧、等高線の
幅は日本がすっぼり入る位の大きさです、小笠原には高気圧が発生している様な、これじゃー何にも分かんナイ。

これまで電気系統の故障で手探りでラムラインを走っていたが、こうなったら南下するっきゃない。

これ以降,毎日の航海日誌は、無風、快晴、イルカと遊ぶ日々。
毎日聞く位置報告ではドンドン置いて行かれるのが分かります。

7月5日 南東の風、無風、マリンテクノと交信、彼等はビール、食料が不足して来たらしい。こちとらビール残り443本、ウィスキー38本、食料ふんだん、無いのは風だけ。とにかく南下。ドーゾ。

7月6日 北緯23度11分貿易風を捕まえたか、多少風が出た。
スコールと鬼ごっこしながら水を補給。
それでも、もうちょっと欲をだして南下。

7月9日 北緯22度ラインまで南下、風が強い。
ただ、舵を引きまくるだけ。けつが痛くなっちまった。

夜になってどんどん風は吹き募り、3ポンリーフでも船は横転し、コントロール出来ず、やっとの思いでセールを降ろす。

日頃グータラな僕が120%がんばれるのは、ヨットでのこんな状況の時だけで、非常に貴重なチャンスなのです。

難破船の様になって波に弄ばれて、風を求めて遠回りして南下したのに、今ではメイン 3ポンリーフ、NO4ジブがやれやっと、トホホ。酒を飲むっきゃない。

7月12日 南に熱帯性低気圧発生、不気味な雲の動きに、「クワバラ、クワバラ、北に逃げるだ。」と、一目散。
ドンドンと北に逃げて7月14日の夜には北硫黄島まで北上。

風は落ちて、うねりだけは残る、暑い。

7月18日 南東の風3M、北緯29度23分、東経133度38分。
今日も昨日と同じだイヤンナッチマウダ。

トランサムにしがみ付いて、早朝のお勤め。
海ではとっても良いものが出る、そこで一句。

「太平洋、ググッとひり出す、だっぷんゾ。」我ながら良い句だ。
太平洋、より、黒潮に、ではどうだろう?、最後の強めの「ゾ」とより、余韻の「かな」ではどうだろうか?。

ワッチの津田さんも藤村君も知らん顔。
しょうがねえな、歌心ってもんがないよな。

と、まあ、多分にこの頃はレースを忘れて、だれ切っていた事がありありと分かりますネ。

7月19日 
鹿児島の大隅半島が見えて来ました。
船を軽くするために酒を飲むが、船が軽くなる前に、瞼が重くなってしまうのです。多少挽回して、現在5位。

7月20日 
南東の風 4M、朝もやの中、懐かしい豊後水道が見えて来ました。
穏やかな海です。早吸瀬戸をかわして瀬戸内海に入り。
お世話になった海漣ネットと本部に今晩入港予定と連絡した途端に風は落ちて、視界も悪くなった。
徳山からモーターポートで来るはずのアイスクリームと愛妻の顔が待ち遠しい。

結局会えず。ベタ凪、くそ暑い、蚊も出てきた。
何でこんな島に来なきゃイケナインダ。
こんな島に住んでるヤツの気が知れナイヨ、南に帰ルダ。
と、このままU夕一ンしたくなる。

日は暮れて、上関の南をのたりのたりしていると、松山方向にヨットが見え、次第に近づいて来ました。
ハワイを出て、30日ぶりに見る「マリンテクノ」です。

確か、スタートして2週間位でビールが無くなったと無線で言ってたはずだ。ビールが無くなると元気も無くなる我々にとって、ビールが無くてこの元気はどうした事なのだろう、信じられない光景です。我々の船底にはまだ287本もあるのに、、、。

真夜中、海上保安庁の巡視船に見守られながら、潮に流されてクダコ水道を仲良く、横向きになって無事? 通過。

7月21日 家に帰っているはずが、眼が覚めてもまだ柱島。
それでも今日は晴れの日、ユニクロのグリーンのユニフォームに着替えて、這うように宮島を目指して進んでいると、自衛隊の護衛艦が近づいて来ました。オヤオヤ、満艦飾にして前方を横切って転針。
パイドパイパー5 のそばに寄って来ました。

何じゃろうか? と思っている内に、スビーカーから「総員帽子振れ ! 」の声。
何と、我々に向かって甲板に整列した隊員の皆さんが帽子を振るではありませんか。
ワー、スッゴーイ、ウッソー! なんて言いながら、感激して我々もちぎれる程手を振りながら、日本に帰って来たんだなあ。もう少しだグァンバロー。

イカダをぬって宮島の東端を回り込むと、フィニッシュラインが見えてきました。「マリンテクノ」から10分遅れでフィニッシュ。
32日と4時間42分50秒の長いレースでした。

フィニッシュの感激よりもエンジンが掛かるか、ギアは壊れているので、うまく桟橋に付けられるか心配でした、エンジンが始動し、セールを降ろし、津田さんが手動で何とかギアを入れて、無事に帰国。

桟橋にはソレッチャの藤井さんが、バスを仕立て家族や友人を連れて迎えに来てくれました。酒や食料は、半分以上も余って、このままハワイに帰れる状況でした。

帰ってアツミの村中さんと,ソレッチャグループも合流して、コルムカップ、オレンジカップ、鳥羽パール、,阿波踊り、舵カッブと、「ヨットは楽しく,、それでもちょっと厳しく」をモットーに、ビール片手に立て続けに参加。
遠征続きの苦しい状況ながらも面白いレースでした。

1ヶ月以上の休職も、皆様のお陰でカバーして頂き、仕事はドンドン増えて、無いはずの机には、今や書類がドッサリ。
年に数回の海外出張が毎月になり、今では毎月2、3回と忙しくなる一方。

家族はハワイが楽しかったらしく、海外旅行づいて、娘はイギリスに留学するし、おふくろはしょっちゅう海外旅行、女房も海外出張に付いて来る。,家庭円満、仕事順調の秘訣は、ヨットに狂う事ですネ。
、これ本当。でも,飲み過ぎないように。

今やレースでは,老齢になった「PIEDPIPER 5」ですが、まだまだ、そこらのコギャルには負けないと言っております。

僕も,酒飲みの楽しいクルーに囲まれて、独断と偏見で、ティラーは放さないゾー、
酒を飲んでのレースなら負けないゾー、と思ってはいるのですが、レースでも、ビールを飲んでいると肩身が狭くなる昨今です。

小生も、せいぜい日本に居る時は、西内海の皆様にお会い出来るを楽しみに、あちこち出かけたいと思います。

また何処かへ行ってみたいナー、とも思う昨今でもあります。




通信はもっぱら津田さんに
おまかせ、
ワッチご苦労さん



北緯20度目指したのは
イイが、今度は吹き過ぎ




後からの大波を受けて、
ティラーをちょっと引くと、
ブヒューン、ドドドド
とプレーニング。
波のスロープの長い事



帰って来た酔っ払い、
左から原、藤村、僕、
尚美ちゃん、津田、高杉
の6名、
シャンペンを抜いて、
また、乾杯



妻も嬉しそう、僕も嬉しい。



帰って、歓迎会、カッパを
着ていても、ビールを掛けられ
池に落とされ、びしょびしょ


家族は海外旅行づいて、あちこち



いまだに、頑張りつづける
Pied Piper 5

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