TRANS QUADRA 2002


大西洋
横断ダブルハンドレース TRAN-QUADRA
2002 ,2003


ホームページです参加艇一覧もあります  
SOLITAIRES(シングル)20隻、DOUBLES(ダブル)30隻の7番目にエントリーされてます

レース中の航跡図もあります



フランスのヨット雑誌 VOILES の7月号、TRANS-QUADRA 特集号.全員の写真と経歴

レーティング:ORCクラブ GPH 600から700まで、年齢40歳以上で、航海経歴の審査合格者
 (ハワイー広島レースでOK) 参加料は2500ユーロ
                                     
第一レグは、 July、2002:フランスNantesから西アフリカPort Santoシーホースの原さんと参加します。電話は、イリジュ−ム衛星電話で行けそう。

第2レグは、January, 2003年, PortSantoから、カリブMartiniqueのレース。ヨット部同級生の岡田豪三さんと行く予定です。
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SPI−OUEST のレースが終わったら日本に持って帰るつもりが、そのままの状態で大西洋横断レースに参加するという、とんでもない計画です。

船は手元になく、資金も無く、充分な準備は出来ませんが、何とかなるでしょう。 

何ともなりませんでした、インショアーレーサーで、装備も6人乗りラフトとオーパイ2000を追加しただけ。

「ワレ-大西洋を舐めトンカー?」。「ショートハンドちゅうのお知っとんかー?」という訳で、結果はその通りでした。

  ============================
    
Le prix "20 000 lieus sous les mers"
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Le prix " 20 000 lieues sous les mers " pour FORTISSIMO de Yasuto Fuda et Shozo
Hara, les sympathiques japonais, qui ont jusqu'au bout de leur humidit sur
leur Grand Surprise, bien bas sur l'eau pour un tel piple.

第一レグでFORTISSIMO 受賞。ジュ−ヌ ベーヌの小説”海底2万マイル”にちなんで、海の中をセーリングして来たすごい日本人との事です。

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第一レグ、 July、2002:  フランスNantesから、ポルトガル領マディラ諸島Port Santoの巻

船はSpi Ouestが終わったあと、もとの造船所に置いてました。
7月5日  工場からLa Bouleのハーバーへトレーラー輸送。7月6日 マストセット。7月9日 La Bouleからナントへ移動。7月15日 レース参加艇ナント集合。7月16日から18日まで、安全、レーティング検査。先に行った原さんが、準備。
7月19日 海上パレード、スタート演習、 ナントからロワール川河口のセント ナザレに移動
7月20日 プロローグ ショートコース レース      公式晩餐会 
7月21日 レーススタート
序章
7月16日 火曜日 17時まで目一杯働いて、5時のチャイムで車にすっ飛んで行き、車の外でズボンを着替えて、女房の待つ徳山駅へ。

今回はパソコン、サイバーショット、衛星携帯電話、GSM携帯電話、VHF、GPS2台、ソーラーパネルに着替え、食料等々4ッつのバッグに詰めて取り合えずレールスターで新大阪へ。汗をかいた後のビールが旨い。

この一週間は充実してましたねー。新聞社の取材が5件に、テレビが1件、話しが得意なら噺家か政治家になっちょるわい。と言いながら真面目に応対。それにしてもこんな遊びがニュースになるんじゃろーか、さすがに記者さんは偉い。ちゃんと記事にしてしまう。おまけに写真入りで、つくづく年季の入った顔を眺めて、俺は写真写りが悪くて随分と損をしているなーと思いました。

で、新大阪で荷物運びに狩り出した嫁いだ娘も一緒に長年の仕事友達、土屋さん夫妻と小林さんが食事に招待してくれて、またまた楽しく飲んで、ホテルに送ってもらい、もう飲めない、と寝てしまいました。  7月17日 水曜日 いつも通り、朝起きると、関空でした。おーそーじゃ。今日はフランスに行くのだ。

7月17日 水曜日
良い席を確保するため、一番にチェックイン。荷物の重量が多くて、チェックインに時間が掛ったが、狙いの席をゲット。エコノミークラスは苦労する。



5時半にパリに到着、国内線にトランジット4時間後にNANTES(ナント)に着くと、原さんがレンタカーで迎えに来てくれた。
もう10時だが、そのまま街んの中心を流れるロアール川に停泊しているFORTISSIMOを見に行った。参加艇50隻か特設ハーバーに係留、
ライトアップされている。



PIELLEが予約してくれたホテルに着いて、車から荷物を出していると、通りの向こうから誰かが呼んでいる、
何とマレーシアのビジネスパートナーのGARY WONGさんと奥さんに娘のエミー、友人のイップさん夫妻だった。
取引先のMISHELの会社が200キロ東のポワチエにあり、一緒にナントに来た、道中で何軒もワイン製造家に寄りながら良いワインを手に入れたらしい。
荷物を部屋に入れて、レストランでそのワインを飲む。

7月18日 木曜日 女房、娘はWONGさん達と市内見物。

Nantesの街を散策する愛妻、Ms. Wong と娘


我々は9時に船に行き、PIELLEと彼のヨット仲間 の手伝いで最後の整備。彼等は夏休みで、明日から家族、友人とヨットでクルージングに行くのだが、手伝ってくれた。

整備中に台湾、マレーシア、日本からの仕事の電話で何度も手を休めなければいけないが、時差の関係で昼からは電話が無く助かる。

16:00からレース委員会がレース要領説明のミーティング。保険証書の確認や個人の健康診断もある。
19:00 特設会場で市長パーティー。80人の参加者全員が壇上に紹介され、運営役員等々の紹介の後、シャンペンパーティー。

食事の約束があるので一杯だけで会場を離れる。街中の特設会場にはフランス、ポルトガルと共に日の丸が期間中掲揚されていた。

20:30 WONGさん、PIELLEと家族等々14人で夕食


7月19日 金曜日
 12時の花火とともに全艇出艇。セールを上げてパレード。
そのまま50キロ離れた、河口にあるサン ナザールに向かう。

水門を通って、海かと思うほど大きな内海に入り特設バースに係留。ここは干満の差が5,6mもあり、満潮時に2段の水門で水位を調整している。
夜9時になっても明るく、調子が狂う。ホテルの主人に紹介されたレストランで10時に夕食。ワインも料理も旨いが、疲れ果てて帰ってバターンキュ。

7月20日 土曜日
8時にはハーバーに行って船を出し、水門に全艇が入って注水。10時に外洋に出る。こんなに面倒臭い思いをしてもヨットが好き。歴史的にみてもフランスは海洋国家で日本は百姓国家。だから創造力はないが、物造りに向いているのだろうと納得。

2時からプロローグレースのシングルハンドからスタート。15分後にダブルハンドのスタート。
5分前からポジション争い、下寄りが有利で、潮の流れを考えラインから離れないようにスタート。
下にはDAN DAOULAMM同型でスキッパーはエールフランス航空パイロットでARCHANBOULT造船所の社長の兄と工場長のJANが乗る船。
上には、IMX40、L'ANGEDEMILON.がいて並んでスタート。スピード、上りとも快調。そのうちにDAN DAOULAMMは引き離したがL'ANGEDEMILONにはだんだん離されて行く、FORTISSIMOは小さいほうなのでポテンシャルが違う。

50ftを含めて40ft以上が12隻だんだん前に出てきた。
レースは途中で中止。それまではクローズだけだったが、良い所につけていたのでまずまず存在を見せ付けた所だ。フリーがあればアッと驚くだろうが。

また水門を通ってハーバーに帰る。ハーバーに帰ると何故FORTISSIMOは速いのか、質問に来る。

スクリューの固定にスタッフが来た。まさか冗談だろうと思っていたら本当だった。
最後の買出し。果物、ソーセージ以外は全く無駄だった。

7月21日 日曜日
朝8時に朝食を取って、ハーバーへ.。水門が開いて、1隻毎ボートで引っ張っていくので時間が掛る。見送りの人達で一杯。なかなか時間がたたない。妻と娘との別れの瞬間は2時間も続くのでした。



いよいよFORTISSIMOも番になって今度こそ別れの時。バイバイ。彼女達は一目散にパリへ2時のTGVで行くのです。

水門に入るとまだまだ全艇が入るまで時間がある。食事をしたり、歌ったり、家族、恋人と再度別れの時間。
ようやく外洋に出て、セールを上げる。スタートまでまだ2時間あるが、観覧船が多数出ていて、手を振ったり、愛想を振り撒いたり大変。













こんなに小さい船でした、隣は2日目にリタイア−した同型のDAN DAOULAMM、この船を造った造船所の兄弟、準備に3年


ソロがステートして、30分後にダブルのスタート。下寄りからスタート。昨日と同じで調子が良い。観覧船の人達も声援してくれる。スタートして一時間、皆は岸よりにコースを取っている。何故だろうと我々はラムラインに近い沖よりに行くが、これが最悪。沖は風が無く、岸よりの船にブローに乗ってどんどん追い越されてしまう。

フランス語の厚い帆走指示書を読みきれず、コースミスまでしてしまい、夕方日が沈む頃には最後尾の位置になってしまった。それから暗くなるまでに10隻くらい抜き去る。
快調、デイラン 220マイル
7月22日 月曜日

水平線から太陽が昇る。波は悪いが風はコンスタントに10m以上吹いている。

朝10時ようやくスピンを上げて快調に走る。スペイン、オルテガル岬は210度にあるが240度で走る。スピードも10ノット以上で、サーフィングでは15ノット以上と快調。

船体の中ほどからスプレーを上げて、波を追い越して前の波にバウから突っ込んでしまう。夕方スピンをフォアステ-に巻きつけてしまった。
2時間の格闘でマストに登る直前ようやく回収。クタクタ。

夜間2時間毎のワッチはきつい。真夜中は風見は見えずまともに走るのは難しい。他の艇はどこに行ったやら、皆目見当がつかない。相当順位を上げただろう。
今はビスケー湾のど真ん中、ラ ロシェル西180マイル。

7月23日 火曜日
夜明けになっても船は見えない。この24時間でトラブルがありながら220マイル走った。
スペインの北方海上まで来た。オルテガル岬の北北東110マイル海の色は日本とは違い紺色がかった海と雲だけ。

風は多少落ちて北西の風6-10m。スピンは無理すれば上げられるが7-8ノットは出ているし、サーフィングでは10ノット出ている、それに疲れてしまって昨日のスピントラブルの修復も終わってないので、上げる元気がない。

2人共初めてのショートハンド経験不足と歳には勝てない。ひたすら西北西を目指す。毎日の会社との連絡で現実に引き戻される。日本だけでなくマレーシア、シンガポール、台湾の取引先に電話を入れる。

遠くに初めてヨットが見えた、VHFで確認するとSOL'NSARAだった、彼によると同型のDAN DAOULAMMがリタイア-したらしい。
理由は不明だが、無事なら良いのだが。一番世話になった船だけに心配だ。PIERREとJEAN-JACQUEは準備に2年間の時間を掛けていただけに残念だろう。

だんだん風が落ちる。初めてオートパイロットを使ってみると、これが実に良い。ただ風が強い時や、波の悪い海面では無理だろう。日本では使った事が無いので信頼してなかったのだが、ショートハンドのセーリングでは不可欠と言われている。

コースミス、スペインに近寄りすぎて風が無い
7月24日 水曜日

コース取りに意見が分かれる。沖を迂回した方が良いと言う原さんに対し、知らない海域で、またハワイ-広島レースの苦い経験から、そんな無駄はしたくないのでダイレクトに岬にアプローチする事にした。

この時、有力艇は殆ど迂回しているとは知るよしも有りませんでした。彼の言う事を聞けば良かったのですが年を取って頑固になってしまいました。

スペイン、オルテガル岬沖20マイル。ここは交通の要衝で本船が引っ切り無しに往来している。
明け方になっても、雲に覆われて太陽は見えず、小雨と共に霧があ濃くなってきた。
風も無くなり、視界は1マイル位になった。

VHFで本船に注意を呼びかける。他のレース艇も近くに居るようで英語、フランス語、スペイン語が飛び交って衝突回避に必死。我々もライフジャケットをつけて、衝突したときの手順を考える。まずエンジンの固縛を切断して逃げるか、ライフラフトを展開する前にアルゴス発信機のエマージェンシースイッチを入れなくては。それにしてもくそ重いラフトは展開して乗り移れるのか心配。次の船はレーダーを積むぞ。死ぬよりマシ。

昼から風が吹き始め。スピンを上げて、思い切って本船航路を西へ突っ切る事にした。ひやひやしながら40マイル幅の航路を横断し西南西に進路を取る。

はるか前方にヨットらしい、どんどん追いついたら34ftのシングルハンドBRISE ET VOILESだった。
なんとフルメイン、ジブ、スピンの3枚張りで走っていた。風が強くなってきて10時頃まで伴走。なかなか引き離せない。こちらは風見と睨めっこしながらセールトリムし、ティラーにしがみついているのに、彼はコックピットを出たり入ったり、ティラーを握った様子も無い。

オートヘルムだろうが凄いものだ。夜になって風はさらに吹きつのり、恥ずかしながらスピンダウン。           気象のサイト

この後、彼は強風でフォア-ステ-を切断、マストを折ってリタイア-した。
この日を境に、周りを遊びまわっていたイルカや鯨の姿は2度と見る事は出来ませんでした。

  

25日26日とドン吹きです。とうとうストーム1枚で走っています。それでも6−8ノット。

松山のM−Projject 渡辺さんからTransQuadraのHPで全艇の航跡と状況がでているそうです。渡辺さんの情報に依るとFORTISSIMOが一番ポルトガルの岸よりを走っている。大体10番位との事。

この風と悪い波に翻弄されている我々と違い、皆沖にコースを取った事が良く分る。いまさら沖には行けない。

このレースの為に各種のブリーフィングが度々開催されて、皆勉強してたのだろう。我々だけは遠い日本で蚊帳の外でした。情報が無いのは戦う前から負け戦。

オートパイロット2000が壊れてしまった。同型のDAN DAOULAMMがラダ-シャフト直結の強力な油圧オートパイロットに改造したのが今となっては理解できる。

26日14:46 リスボン沖120マイル インターネットで取った天気図でもポルトガル沿岸のこの荒天までは出ていない、局所的な天候なのだろう風も波も最悪、天気図では20ノットだが実際には40ノットオーバーの風が吹いている。波は波長が短く高い。

荒天、ポルトガル沖は最悪
7月27日 土曜日 多少海況は落ち着きましたが、1ポンメインで波に突っ込むので止む無く降ろして、ジブだけで走っています。艇速は6から8ノット。もっと吹くか、多少落ちてメインが上げられれば良いのだが。無理すれば上げられるのだろうが、2人共疲れていて上げる元気が無い。

今はジブラルタルの沖。海の色が何とも言えず綺麗。深いブルー。

インターネットも衛星電話が4600bpsと速度が遅いので、他艇の動向を見ようにもTRANSQUADRAのサイトが開けない。気象サイトもポルトガル沖の詳しいページまでたどり着く前に切れてしまう。

おまけに船内は狭く、ウェットで、セールや濡れた衣服でスペースが無くなってしまいました。変な姿勢でパソコンと向かい合っていると体中が痛くなる。船が小さいのでしょうがない。

7月28日 日曜日
ジブラルタル沖480マイル 北東の風8-14m。メインを上げたり、リーフしたり、降ろしたり。ジブだけだと6ノット、ブローでサーフィングすると10ノット。

なかなかメインを上げる決断が出来ない。夕方メインをフルで上げるが、ブローではコントロール出来ない。2ポイントリーフにする。

明るいうちは2時間から4時間でもOKだが、夜は寒くて厳しい。1時間がやっと。寝るのもカッパを着たままで、下着も濡れているがしょうがない。ハーネスも着けたままで、30分位仮眠、またデッキで波をかぶりながら舵を取る。

もー腰も背中も痛い。夜になると目が見えなくなった、GPSの数字や腕時計の時間が読めない、ライトをつけても読み取れない。このところ目が悪くなる一方で、来る前に眼鏡を作ったのだが。歳なのだろうか、栄養不足なのか?到着して食事をしたら見える様になった。ビタミン不足です。

毎日の食事は平均してビール1.5本、ワイン0.5本、ご飯茶碗に7割、シチュー一杯、バナナ1本、これじゃー栄養不足になります、実質的に家での朝飯分以下しか有りません船の上では食欲が無いのです。

何でこんなしんどい思いをしてまで遠い所に居るのだろう。日本に居れば3度のおいしい、栄養のある食事と、クーラーのきいた事務所で仕事をして、帰ってビールをのんで、テレビを見て、心地良いベッドでぐっすり寝て。俺はアホや。しょうがない。

7月29日 月曜日
北東の風8-13m 真夜中に風が強まり、危険なのでメインを降ろす。食料もあれこれ用意してきたが、殆ど食べられない。結局ビールとワイン、バナナ、オレンジ、ご飯は一日に一回で充分。食料もミネラルウォーターも4分の1しか消費せず、船を重くしただけだった。

朝メインを上げるが2ポイントのまま、それでも10ノットオーバーで、サーフィングで15ノットにもなる。
海が荒れているので料理なんかする暇もないし、ばてているので食欲も起らない。食い気より眠気の方が先に来る。

ずーと曇り空で日のあるうちにポルトサントを発見したかったが、その内に風が強まり、ワイルドジャイブすると危険なので、真っ暗闇の中メインを降ろす。
舵を握っていても宙を飛んでるような、浮かんでいるような不思議な感覚でコンパスを睨んでいないと何処に行っているのか分らない。
ジブだけでも6-7ノット平均で、たまに10ノットを超す。

疲労困憊、睡眠不足。もーダメ
7月30日 火曜日
夜明け前の一番眠い時刻にポルトサントへのアプローチとなった。視界が悪く、海も荒れている。180度で南下するが、島らしいのは全く無い。

夜光虫の明かりを灯台と何度も勘違いする。GPSで何度も確認して、海図と睨めっこ。お互いに言う事、なす事がおかしい。疲労と睡眠不足と栄養不足で精神錯乱状態に近い。

夜が明けてもポルトサントの灯台は見えない。おかしいなと思っていたら遠く西方にチカッと明かりが見えた。あれだ。オーバーセールしてしまっている。引き返さなくては。

すぐにメインセールを2ポイントリーフで上げて、上りにかかる。灯台の明かりは明け方の最後の明かりだったのだろう、もう光は無くなってしまった。

最後に確認した方向に走る。しばらくするとぼんやりと島影らしいものが見えてきた。1時間掛って島に近ずく、何度も海図で島の地形を確認するが、町らしいものは無い。おかしい。島の裏側に向かっていたのだ。

急遽風下に落とす、ようやくポルトサントの灯台がある島に近づいた。島の北の崖に鬼との牛とも髑髏とも見える不思議な巨大な岩だ、どうせ観光写真にあるだろうと写真は撮らなかったが、どこにも無かった。

島を回りこんでブローに翻弄されながらようやくハーバー入り口の灯台のフィニッシュラインに入る。やれやれ終わった。セーリングで着岸しようと思っていたら、コミッティーが来てスクリューシャフトの固定を切断。エンジンで着ける。

前回の最短10日を大幅に短縮、10位以内だろうと、ハーバーに着くと、ナント40隻位が着いていた。アッチャ-。何で、?????。

ウサギより亀さんの方がやっぱり速かったのです。フルメイン、スピンが殆ど上げられなかった、最初からセールエリアを小さくしておけば良かった。鈴鹿サーキットで走ってる車でサファリラリーに出たようなもんだ。

堤防には各国から訪れたヨットマンのペイントがびっしり。日本からのものは無い、よし、FORTISSIMOも描くぞ。

YOU ARE CRAZY! でも天国に着いただよ
皆が祝福してくれたが、お前達はクレージーだと言う。

沿岸でのブイ廻りレーサーで長距離航海は考えてない船だから、途中でリタイア-すると思っていたのか、おまけにオートパイロットが小さな2000ですぐ壊れたと言うと、あきれていた。

運営委員長のMICO BOROも同型は2日目でリタイア-したので我々が完走したのを喜んでくれた。彼は関口さんの事を懐かしがっていた、もう20年前の事らしいが、こうした先人のおかげで我々もすんなり受け入れられたのだろう。

皆は強力なオートパイロットで夜間睡眠を取っていたようだ。大和魂より睡眠が重要。
早くリーフしたがる原さんに道中随分と毒づいていたが、こうして重大なトラブルも無く、無事に完走できたのも、彼の安全第一の考えのお陰です。クレージーと言われる船で完走したのですから。

その夜はおいしい夕食とワインを飲み、ホテルで2人共ぐっすりと乾いた清潔なシーツのベッドでぐっすりと昼まで寝る。

8月1日 水曜日

今日からGSM携帯電話がつかえるので早速仕事。

前回のレースではファーストホームは10日掛ったのだが、今回は我々でも7日と半日だった。順番に船を上架し6ヶ月の長期保管の準備をする。コミッティ-の計らいで、遠来のFORTISSIMOを一番に上架してくれた。


ここはコロンブスの出発地で彼の家もある。人口は5000人の観光地である。魚も肉も旨い。パンはナンのようなパンでニンニク、玉ねぎ、オリーブオイルを塗ってありとてもおいしい。これにはさんだビーフサンドは、肉は柔らかく最高。ワインも旨くて安い。
ここは天国だわ。

ポルトサント、コロンブスの家

8月2日 木曜日
原さんと別れ、飛行機は満席なので、船でマディラ島に行く。フンシャルに着くと、リタイア-したDAN DAOULAMMのJAN-JACQUEと友人が迎えに来てくれた。

ホテルはどこも満員でSAVOI HOTELの海側の崖を利用して2年前に建てられたROYAL-SAVOI に宿泊、値段は目が飛び出るほど高いが最高。
ポルトガル人は金持ちが多い。フロントは8階で客室は下になる。

部屋でJAN-JACKと友人とホテル差し入れのマディラワインを飲みながら海図を広げてレースの状況を語り合う。
第2レグに参加するかと思っていたら、この船では行きたくない、大型カタマランで遊びがてらマルティニークに行くと言う。よほど懲りた様子。



マディラ島フンシャル、ROYAL SAVOY HOTEL と フンシャルの街

8月3日 金曜日
バルコニーで遅い朝食をとりながら、ふとプールサイドを見ると若いマドモアゼルがノーブラで仰向けに日光浴をしている、双眼鏡は船の中だし、あとは老眼鏡しかないので、遠く豊かな乳房を喰いつくように見ているだけでした。

マディラ島は人口35万人で、歴史のある観光地。石畳の道、素晴らしい建築。なるほど大西洋の真珠と言われるだけの事はある。街もハワイとは雰囲気の違う、大人の観光地だろう。歩き疲れて、きれいなお姉さんにマッサージをしてもらいながら不覚にも寝てしまった。
どこも白人ばかりで女性が綺麗なので調子が狂う。フンシャルからリスボンに向かう。


8月4日 土曜日

リスボンに来ました。綺麗な街だ、歴史的な建築物が至るところにあり、石畳の道。街路樹のきれいな広い道路。海岸には昔の造船所のドックを利用したヨットハーバーが何ヶ所もあり、ヨットが出航していく。どのレストランも旨い、安い。

ポルトガルは日本より貧しいと言った先入観は一瞬にして吹き飛んでしまった。日本はまだまだ貧しい。金は持っているが貧しいのは何故でしょう。ポルトサント、マディラ、リスボンとどこに居てもポルトガルの豊かさを思い知らされる。
ホテルのフロントで紹介されたレストランSANTA MARTA、たこのサラダは旨かった。

ブランドで飾って、高い車に乗って、高い料理とワインを飲んでも、貧乏なんですね日本人は。



8月5日 日曜日
リスボンからパリへ。来週から日本のアリさんに戻って、働くぞー。

今回の反省と第2レグの対策

夜、いかに睡眠を取るか、その間の操舵? 思ったよりセールチェンジが頻繁にある
   オートパイロット2000の修理、改造は出来ないので4000を追加できるか?
   ショックコードとシートで舵を固定できるようにアイを付ける
   ジブを外側に出せるようアイを取り付ける
   メインセールのリーフ用細引きシートをマストからブームに取る。

レーティング対策。バリバリのレーサーIMX40とレーティングが余り変らない。
   セールをダクロンにしたり、ファーラーを付けたり等々
   変更は不可能、安全上からもファーラーにしたいが島では無理 
   今度参加するとしたら、メインは小さく、ジブはファーラー、強力オートパイロット。それ以前に長距離ショートハンドの船に変えなければ。

気象情報と他艇の動向
   無線ラジオで気象通報を取る事が義務になっていたらしいが、フランス語が出来ないので不可能。
   皆はお互いに無線で状況を報告しあったりしていたが、我々は無理。フランス語の勉強が不可欠
   盲目で聞く事も話す事もできなくて、手探りで道を歩いているようだ。
   せめて日本で気象とレース状況をインターネットで取り、メールか電話で受け取る。

食事を定期的に栄養バランスを考えて取る
   メニューの作成、朝、昼、晩、夜食の時間を決めて取る
   ビタミン補給、錠剤とアンプル
   調理出来ないので、レトルトを主体にする、サラミソーセージは旨かった
   飲物でも栄養補給する、BSEの白ワインも積もう

夜は寒い、波をかぶる
   ポリプロの下着、枚数を増やす
   冬用のオイルスキンを持っていく
   長靴は必要
   乾かすために洗濯バサミを持参
   顔や体を洗うため洗面道具は取り出し易い位置に+日焼け止めクリーム

Trans Quadra (大西洋横断レース)参加準備  
エントリー         : JSAクラブメンバーとしてエントリー。: 申込み , Trans Quadraのホームページで確認

艇登録証明書      : 日本船籍証明のため、JAF、2002年4月発行分も必要

保険            : 今まで契約していた日本の損保では対応してくれない、レース参加上必要なので困っていたのですが。
                   インターランドの松永社長に相談すると早速、2年間全世界の保険を提案してくれました、有難うございました。

レーティング取得      :何と今回は、せっかく取ったIRCではなく、ORC Club レーティングだって。
                 日本では取得出来ず、フランスで取得、JSAF田村さん、長谷川さん、有難うございました。
                 
                 :メイン、105%ジブ、スモールジェネカー、(レーティングGPH 600台をクリアーするために、ゼノアは使えない)
                ストームジブ

飛行機           :: エールフランス航空(17,July’02 関西空港ーシャルルドゴール空港)

ホテル            : Seahouse/原さん手配:ナントの Hotel 4名部屋 X 2

国際自動車免許    : 1年毎に更新、

クルー           : 原さんと2名、女房は荷物運び。娘は荷物運び兼女房の護衛兼ガイド。
項目 日本から持って行く物 フランスで調達する物
国旗、(今度は忘れずに)
セール補修キット、、
42、42番ウィンチ、ソーラー発電、
アンカー、各種シャックル、ブロックとフック、
各種ロープ、シート、ショックコード
バケツ3、
工具一式、ワイヤーカッター、針金、接着剤各種、グレイテープ、テープ各種
ドージャー、テント、(大西洋、太平洋横断レース用)
セール ストーム、 メイン、スピン、小、、105%ジブブームカバー
航海 風見の毛糸(風向計よりサイドステーの風見、もっともジブのラフしか見てないけど)
航海機器
海図、サーチライト、懐中電灯、各種電池、
通信 辞書(日、英、仏、西)、GPS,VHF、
GSM携帯電話、パソコン、デジカメ、
インバーター、ラジオ、テレビ
イリジュウム携帯電話、灯台もと暗し、日本にあった)
VHF無線機(マストトップアンテナ+据置、携帯VHF)

フランス語翻訳ソフト
安全備品 応急ラダ-とティラー
旗、ラダーステップ、マスク、シュノーケル、フィン、
ライフジャケット、ハーネス、信号、レーダーリフレクター、フォッグフォーン、ナイフ、
ライフラフト、
エンジン エンジン予備備品(パッキン、ベルト)、 給油ポンプ、エンジンオイル、予備バッテリー、
ギャレー 携帯ウォシュレット ヤカン、鍋、スポンジ、保温ポット、洗剤、石鹸、ペーパータオル、
冷蔵庫、ガス、
洗面 歯ブラシ、櫛、ブラシ、鋏、爪切り、髭剃り、ヘアートニック、オーデコロン ヘアームース、タオル、トイレットペーパー、灰皿、海水石鹸とシャンプー、消臭剤、トイレブラシ、
医薬
蚊取電池式、赤チン、消毒液、針と糸、バンドエイド、包帯、胃薬、風邪薬、ガーグル、飲み過ぎのプロポリスとウコン、下痢止め、目薬、ホウ酸、痔の薬、
食料 パックご飯、ラーメン、パックシチューうどん
梅干、海苔、ラッキョウ、納豆、雲丹、
調味料 (マスタード、山葵、生姜、)
ポカリスエット粉末、ティーパック、あずき、
カロリーメイト

ハワイー広島レースで積み過ぎ、今度はあ適正に
ビール、白ワイン、赤ワイン、ウィスキー、ブランデー、ラム、
ミネラルウォーター、コーヒー、砂糖、クリーム、ミルク、ヨーグルト、バター、
醤油、ソース、塩、マヨネーズ、ケチャップ、
フランスパン、
パック豆腐、キムチ、卵、
野菜、(たまねぎ、キャベツ、ジャガイモ、にんにく、にんじん)、
魚(オイルサーディン、ツナ、)
肉(ハム、ソーセージ、サラミ)、
果物(バナナ、)
レトルトパック(ビーフ、カレー、ハヤシ、)
缶詰(エスカルゴ、コンビーフ、赤貝、
チョコレート、菓子、
衣料 帽子、サングラス、ジャケット、ハーケンの靴、セーリンググローブ、靴下、ヨット下着、スイミングパンツ、 オイルスキン、下着、靴下は、寒かったら現地で購入
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