31, March Sunday

第5レースは風が無く、昨晩の二日酔いのせいか、気合が入らない。風向もコロコロ変る、こうなると状況は一変して、上マークは13番手位の回航。

軽風になると105%ジブではパワー不足です。レーティング対策上しょうがない。

これだけ多数の船がレースしているのに、クローズのミーティングでもめったに「スターボ」の声は掛らない。
各マーク毎に大混乱になるが、日本のような大声、罵詈罵声は聞こえない、下マークでも4−5隻がオーバーラップして回るが、「水くれー」、「早く回れー」だのの声は無く
お互いにどちらが優先権があるか理解しているのでスムースに回航していく。日本ては違うなー、と感心しました。



レースが終わってリラックス、左から、原、Bea、Adrien、愛子、Cris、Philippe
                                                                         クルーと僕

BestTachticianのPhilippe、やっぱりすごい奴だった。

















         レース前のひと時、女房は第一レースで腰を打ってよれよれ。

               







 KENZOがスポンサーのMUM。SONYやFUJI Film等々日本のスポンサーは多い。
僕は徒手空拳。安サラリーマンなのに、、、、。政治家ならタダだし、役人なら税金を流用、お姉ちゃんならパパから、経営者なら福利厚生でも落とせるのだが。まーいっか。

第6レースは風待ちと移動で3時からのスタート。何とか第一線からでるが、皆、早い。上マークは8位で回航。風は軽風で、なかなか抜けない。特に20隻以上が参加のF747はメチャクチャに早い。発売されただかりでもう60隻売れたらしいが、これは日本に持って帰ったら絶対にヒットする。

レース後原さんは早速メーカーに会いに行った。。そのままコースを3周してよれよれになってフィニッシュ。着順は何位だったか、10番くらいだろう。今日は8位、6位で総合は3位になってしまった。
レースが終わってもスピンは降ろさずそのままハーバーに帰る、他の船も、他のレースエリアから帰る船も皆スピンを上げて狭い水路でも突っ込んで来る。

クリックして下さい。
choisir un classement はクラス選択です、class sport を選んで下さい。

帰ってインターネットでチェックすると第5レースは8位、第6レースは6位、トータルではまだ何とか3位。

昨日までは2位で上位3チーム1ポイントの僅差で競っていたのですが、今日の成績で2位から3位に転落、1,2位とは差が開いてしまい、逆に4位とは僅差になってしまいました。

明日の1レースを残すだけですが、ここまで来たら是非3位には入りたいものだ。

今晩はラーメンとご飯に梅干、海苔、ラッキョウとハムに野菜。やれやれようやく日本人に帰って、一口毎にのどから胃へ、腸へと染み渡っていくのが良く判る。

1, April Monday :

今日は最終日。昨日からサマータイムで1時間早くなったので、6時と言う事は5時に起床。メールが沢山入っていたので会社に電話して、朝食はフランス風にして皆で食事。7時45分に出発。8時までに船に行きました、

ハーバーに近づくと、もう沢山の船が沖に向かって出航していました。Philipeeはもう来ていました。フィッティングをしてすぐ出航。今日は昨日より風がある。よしよし。レーティングの関係でスモールジブとすモールスピンで軽風ではパワーが足りず昨日は良くなかったけど、今日は大丈夫。

船になれてメンバーが揃えばビッグゼノアとビッグスピンで行くのですが、まだ初めての船で強風と聞いていたので小さいセールでレーティングを取ったのです 

昨日充電していたVHFのアンテナが見つからない、まーいっか。一昨日の無い時の成績が良かったので、無いほうが集中できるかも。

Philippeも盛んに絶対に3位に入りたいとプレッシャーを掛けてくる、ヨッシャ頑張るぞ。

何十隻の船が鈴なりで見送る突堤から狭い水路を沖に向かいます。帆走で出て行く船にコースを空けるため、避けたりスピードを落としたり、何列にも重なって出て行くので大変です。

水路も曲がっており、赤と緑のブイの間を通って行きます。だんだん慣れてきましたが、これが最後のレースなのです。

皆エンジンが嫌いなのでセールを上げて海面に向かいます、風向を確認、スタートラインを確認、10分前には、キールに掛ってるかも知れない藻を取るためセールを押して船を後退させます。皆やっていました。

スタートは下寄りでしたが、上にも下にも船がいて上手く船を止めるのでなかなかフリーになれません。
ポジション争いで多少船のスピードは不足していましたが、第一線でスタート。
だんだんスピードに乗って、上の同型艇を上り殺して。調子に乗ってオーバーセール上り殺した同型に続き上マークは2位で回航。

今日はジャイブもトラブルは無く、後続の同型艇を抑えて走ります。トップは何度も入れ替わり、後から見ると505のようなお化けUFOに次いで2着でフィニッシュ。

皆はハイタッチで大喜びです。1位かとおもいましたが、修正でUFOには勝ったのですが、5着で入ったベルギーのStuytsとは2時間のレースで修正で3秒差で負けて2位。残念無念。でも上出来。これで何とかクラス総合3位は間違いない。

いろんな船が我々を写真に取ってくれます、JPN5934のセールナンバーと我々東洋人が珍しいのでしょう、女房がソニーのサイバーショットで御礼に撮っています。

最新式のデジカメです。こちらに来るとソニーやホンダ、トヨタ、日本が誇るハイテク製品のおかげで日本人も一目置かれているような気がします。

突堤に鈴なりになって迎えてくれる人たちも我々のセールナンバーJPNにはビックリした事でしょう。



総合は、

7レース中ベスト6レースの総合で3位。
上々の出来に大喜び。ホテルに帰って、AdrienとBeatrice夫妻とCharlesは、明日からの会社勤めに荷物をまとめてパリに帰った。

彼等は普通のサラリーマンだが、ヨットが好きで、楽しんでいる事が良く分る。

こちらが感謝の気持ちでお土産を渡そうとしている事を知ると、あわてて車でどっかに行ったかと思ったら、我々にワインを買ってきて、プレゼントしてくれた。有難う。
彼等もこのレースと我々とのセーリングを楽しんでくれたと思うと嬉しい。

全成績は、Spi-Ouestのホームページで見れます。




こんなに良い成績が取れるなんて、元々考えて無かったので、表彰式に出る事は考えて居ませんでしたが、何かもらえるし表彰もされるという事で参加。

Philippe家族も今日は祭日なので来てくれました。
子供や家族連れが多いが、日本とは違い形式的ではなく、好感が持てる式でした。
壇もフランスらしく幾何学的に組み合わされ、面白い。

大スクリーンに各クラス毎、3位までが映し出され、クルーが壇上に上がっていく。
整列も無しで、ごちゃごちゃと上がって賞品を受け取って行く。
これがフランス的です。日本はビシッーとして、北朝鮮的ですね。どちらが好きかは個人の趣味の問題でしょうが、
日本ではやっぱり北朝鮮式が好まれるようです。

いよいよスポーツクラスです、スクリーンに3位から名前が出て、呼ばれました、
表彰式に3位で壇上へ、こんな事は想像もしていなかったので、壇上からパチリと記念撮影、やっぱりあんたら日本人やねーと皆がフランス語で言っていました。

賞品は、ドンペリまでしか飲んだ事が無い僕にとって初めて聞く、Nicollas Feuillatteのマグナムシャパンと日本では入手出来ないRICARDのボトルです。飲もうとすると女房と原さんがもったいないと猛反対。これは会社へのおみやげ。くそ重たいけれど飲まずに日本に持って帰ろう。

それにしても、3位入賞は出来すぎ。家族の応援と会社の皆様の理解、いろんな友達の援助があって、初めて達成出来たのです。有難う御座いました。

表彰式が終わって、やれやれ、3人でホテルに帰って、白ワインと間違って買ったシャンパンで乾杯。原さん有難うございました、こんなに楽しい思いをさせてもらった上に、3位入賞の表彰まで頂けるとは。感謝。
ディナーは、女房手作りのラーメン、ライスと女房得意の冷蔵庫残り物整理料理とワインで楽しく頂きました。

レースは20%、あとの80%は準備と後始末ですので、このあとまだ続きます。写真の日付は、時差の修整をしていなかったので1日前れです。

2, April Tuesday

今日は船の後片付けです。フィッティングをばらし、ブームをはずし、シートも全部取って、後はマストを抜いて上架するだけ、船は次の大西洋横断レースに備えてArchambault造船所に持って帰り、準備します。セールメーカーTechnique Voileに行きPhilippeと打ち合わせ。本当にお世話になりました。彼はレーサーとして一流というだけでなく、人柄も真面目で家族を愛し、今まで持っていたフランス人の印象は大いに変りました。
戦いすんで、ハーバーでは老夫婦がセーリングの準備

  La Trinite近くにあるCarnacに行き、巨石遺跡の観光と言っても、車の中から。。

Technical VoireにPhilippeを尋ね、道具を返し、セールの手直し、大西洋横断レースについて話し合い。ブームカバーを注文。

Lolienにフランスのアメリカスカップ挑戦の基地を探索に、ありました2隻が潜水艦基地の要塞のような建物群の陰の陸の上に、門が開いてたので中へ、フランス語で立ち入り禁止と書いてあったのでしょうが、フランスは大らか。さすがに写真を撮る事は控えましたが、間近で見るとすごい。
あっちにも、こっちにもヨットハーバーがある、初めは珍しくて、写真を撮っていたが、こんなにあるとこちらがミジメになって止めました。

帰りにAurey 京都中華料理を  中国人なのだが、英語も中国語も通じない、もうフランス人になっているのですね。、、、、旨い

3,April Wednesday

今日は朝から雨になりました。上架の準備。上架の順番待ちの間にOrion Vacanceをチェックアウト、ここはホテルではないので掃除していってくれと言う事でした。腰痛の女房のヒステリーが小爆発、僕の原さんも事務所のマドモアゼルもその剣幕に圧倒されて思わず顔を見合わせました、ちなみに女房の腰痛は日本に帰っても直りません、根性で全レースに乗ったようです。すごーい。
さよなら La Trinite ser mar。



昼食は、原さんお勧めのトレーラーが沢山止まっている安いレストラン。
テーブルにつくと、何も言わないのに、フランスパンと赤ワインがドーンと一本。ここでは水代わりなのですね、それにしても皆飲んでいる、と言う事は、皆さん酒気帯び運転と言う事ですね。
それにしてもここの前菜は旨かった、ビュッフェ式なので何度もおかわり。

Nantesを通って、La Rochel へ、TGV終点の駅からまっすぐに旧港があります。


 新しく開発されたヨットハーバーの一部、周りは新興住宅地














Ile De Re へ、ここは、ラ ロッシェル の沖にある島ですが、大きな橋で車でいけます。ここはサントロペかイルドレか、と言われる程の保養地で、しゃれたブティック、カフェ、レストランが立ち並んでいる。中心地St. Martin de reのホテルで一泊、ショッピングで女房の機嫌をとりました。

ジュベール、二ベールの弟、フィリップの造船所を訪問。


4, April Thursday
1826年造られた灯台






原さんの取引先で、有名な自然塩のメーカーへ、高いが旨い。アメリカへの輸出で大忙しらしい。
まさか塩を持って帰るとは思いもしませんでしたが、これが塩か、と思える程旨いの。

荷物になるので、嫌がる僕をきっと睨み返して、早速女房は買って行きました。
その剣幕に圧倒されて、荷物を整理して中に入れました。
女は食い物の事になると強くなるのです。

塩にも種類が沢山あって、料理に応じて使い分けるそうです。
フランス料理の真髄は塩にあると言われていますが、なるほどと思うくらい、色んな種類があり、味も良い。



ラ ロッシェルに帰り、F747のメーカーを訪問。原さんは商売熱心。彼等も僕達の事をレースを通じて良く知っていたらしい。この船は設計も新しく安く、なんにしても良く走る。
5m以下なら、前の40ftのX−1トン、Pied Piperより速いだろう。キールも上下して保管や移動が楽なようです。絶対に日本向き。

僕も年と共に、大きい船でレースをするのが肉体的にしんどくなり、かと言って舵を引かずに後ろで見ているのも嫌なので、Grand Surprise31ftにかえたのですが、このF747の方がもっと良かったかな。でも大西洋横断レースは無理なので31ftがベストチョイス。

若い人に混じって、僕より遥かに年配の人が多いいのも頷ける。
今回のレースでは、F747に限らず、多くの年配の人が小型軽量のレースボートでレースを楽しんでいるのにはビックリしました。
もっともレースが出来なくなったら大きい船にして、ノンビリとクルージングを楽しむ予定ですが。


ラ ロッシェルから Archambault 造船所のあるChateaurouxに行きました。

Fortissimoを造ったArchinbal 造船所へ、5時なので、工場は終業。社長と会うが、打ち合わせは明日になる。Emanuel社長、この人が大西洋横断レースの事を教えてくれたが、3年に一度のこのレースは回を追う毎に参加艇数が増えて、もう50隻を越えそうだと言う。こりゃ大変、

参加出来なくなると、早速レースコミッティーに電話をしてもらう。外国人で船も日本船籍なので、いろいろとクリアーしなければいけない事がありそう。早速VHFアンテナのマストトップ装着を注文、ドージャーの打ち合わせ等々は明日にして、近くの農家を改造したというホテル?へ行く。




 


部屋は別棟で古く広くて清潔。女房も大喜び。

写真は僕達のコテッジのすぐ前の庭です、モネの絵のようです。

ここは原さんの常宿で、元気な老夫婦がやっています。いろんな酒を飲んで、奥さん手料理の食事をして、ぐっすり寝れました。







5, April Friday

朝、ベルギーからの家族と一緒に食事して、Archanbor 造船所へ、工場では50ft、40ftを製作中。この50ftは松山のM Projectと同じ、M Projectは、フランスから横浜に到着、松山でチューニングして、日本のレースにお目見えの予定です。

ここはチップ入りの樹脂をガンで吹き付けるのではなく、ハンドレイアップで丁寧に積層して行くので信頼出来る。
作業員は全て地元のフランス人、積層は女性が丁寧に作業。


手直し個所、クォーターバース
風向風速、レンジ、不沈構造、
マストスプレッダー

次のTrance Quadra−大西洋横断レースの打ち合わせ。
ORCレーティングの値をクリアーする事
航行資格?CからAへ変更、これは警察の許可が必要らしい。
安全備品のCategori−5から1へ、全てフランス語なのでチンプンカンプン、大学のフランス語をもっと真面目にやっときゃ良かった。とは言っても多少勉強したくらいでは全く役に立たない。
IBMでコンサルタントをしているCarlsに電話して、良い翻訳ソフトを紹介してもらう事にした。
不沈構造に改造してもライフラフトの設置は必要らしい。
ドジャーは大きめに、ハーバーで気に入ったドージャーをつけた船を写真に撮っていたので、送って見積もってもらう事にした。

船を取りに行ったトレーラーから、あと20隻も順番待ちをしていて上げられないとの連絡がある、外国ではこういったトラブルは日常茶飯事なのですが、Emanuelはコストが掛ったら大変なので日本人の船だと交渉してくれて何とか繰り上げて上げてもらう事になった。

ツールからオルレアンを通ってパリへ、パリに入ってホテルは北東の東駅の近くですぐ行けるかと思っていたら、2時間も掛ってしまった。
原さんは運転しっぱなしでちょっと疲れた様子、ビールとワインが余って、女房と原さんの顰蹙を買いながら、無理やり荷物のパッキングをしながら、無理やり飲んで、それでもワイン2本半とビールは持って帰れませんでした、
Philippeからバトォ パリジャンのトップを紹介してもらっていたので、優雅にディナーと思っていたが、疲れてそれどころではない。ホテル近くの香港料理レストランへここは旨い、安い。



次のレース、TranaQuadra 2002(大西洋横断レース)のホームページです。

次のレースは、携帯電話は届かないので、イリジュウム携帯電話を持って行って、このサイトで逐一、報告したいと思います。

まだ時差ボケで、少しずつ思い出しながら充実させていきますので、乞う、誤記他愛。

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