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6月4日
それは爽やかな朝でした、切符に海図を持って津田さんと2人。
愛する家族、美女達の盛大な見送りの中、勇躍徳山駅を後にしたのでした。
新幹線に乗ったらコッチのもんだ。早速、津田さんと2人でビールを飲みながら、まだ見ぬパイドパイパーちゃん、ハワイ、太平洋、ワイキキのお姉ちゃん、ワクワク。
仕事や借金やモロモロは、徳山に置いて、バイなら。
人は、何でしんどい思いをしてまでヨットで海に行くん?.と聞きますが、海と、酒と、女と、風と、自由と出会いと、ロマンと、僕自身分らないので、「よけいなお世話だ」と言う事にしました。
ハワイに着いて、すぐヒルトンヘ行くとカウンターには、この後随分とお世話になったミキちゃんと言う可愛い子が居ました。
早速のラッキー。
ミキちゃんに荷物を預け、アラワイヨットハーバーヘヨットの捜索に行かなければ、船は20日前サンフランシスコに居た事は確認したのですが、さて、来ているやら、いいかげんな性格の私も多少心配になってきました。
ハーバーに近づくと、何度も舐める様にビデオや写真で見ていたので、遠く、群を抜く、細ぐて高いマストで、すぐ分かりました。
「オーあれじゃー」。マストは今までに見た事もない位、細くて長くて、「こりゃ、絶対に折れるワー」
船には誰も居ず、始めて乗る40フィート。デッキは広く、いろんな物が付いていました、
「こんなに大きい船じゃったんかー、乗った事もないのに、こんなんで日本まで帰れるんじゃろーかー。」
内心とは別に皆には弱みを見せるわけにもいかず、「30が40になっただけジャーヤー」と妙な言い訳をして、あとはわけも分からず、長旅と時差と酒で眠くなった頭で「フム、フム、」とうなずき合っていたのでした,ウトウト。
そのうち、金髪の長髪を束ねた若い兄ちゃんが走って来ました、サンフランシスコから6人で回航して来たエリックでした.
彼は会社を辞め,台湾で教師をしている恋人のとこまで行きたいらしい。
船を宿に提供する事にして、回航仲間のドナも来て、皆でハワイヨットクラブで早速乾杯。
毎日ゴソゴソ準備していると、いろんなヨットマンが声を掛けて来ます。
いろんな人に親切にしてもらい、マリンショップもその内に値段をまけてくれるようになり、餞別まで。
2週間の長い間、ミキちゃんの紹介で宿を転々としながらも、安くて、楽しいハワイ生活をおくれました。
金が無いって、何んて素敵な事でしょう。
ちなみに帰国から半年後、台湾出張の電車の中で、「オー、エリックじゃないか!」。「オー、フダ サーン!」と再会。
世界は狭い、ミッドウェイで沈没してもちゃんと彼女の所まできたのですネー、えらいやっちゃ。
6月13日 第2陣の高杉君と尚美ちゃんが合流。
6月15日 第3陣の家族やゲストが来て、レース準備もほったらかしにして2回目のサンセットクルージング。
デッキの上では。ゲストが気持ち良さそうに飲物片手におしゃべりしているのですが、こっちは津田さんが中に人って、必死にどなり合いながら、合図でギアを入れます。
内心はビクビク、船はガチャガチャ、手は真っ黒。
ハーバーの中をさっそうと出て行くのですが、カッコイイというのは、実に大変なものなのです。
それにしても「パイドパイパー5」は速い。
参加艇と並んで走っても上でも下でも、スコーンと抜いて行きます。
これは、もしかして、、、。
6月18日 レース当日、急遽乗りたいと6人目のクルー、原さんが合流、すぐに出航。
船が無事にレース当日ポンツーンを離れる事が出来たら、この航海は90%終わりと思っていましたので、ポンツーンを離れて、ハーバーを出ながら、「アーようやく終わった」。
あとはおまけなのかご褒姜なのか、ウェザーマーク、ワイキキ沖のブイを目ざしてハワイー広島レースのスタートです。
荷物を積み過ぎて喫水がドッカーンと下がった「パイドパイパー5」は、こんなはずじゃー無かった、と思いながら。
おまけにサテナビの故障で、お天と様を頼りに、一路西へ、西へ。
最高の風、太平洋の荒波をキャッホー、キャッホーと楽しくセーリングしながら、2シフト、3時間ワッチで、一路日本を目指して帰るのでした。
ハッチからキャビンに入ると、この船はハルが硬く、波をたたいても音がしない。
もうここは別天地。オイルスキンを脱いで、寝酒を一舐め、バースに潜り込み手足を伸ばすと、至福の時。
ウヒヒ、これだからヨットは止められない、と、楽しい夢を見たかなと思うまもなくワッチ交代。クソッ、なんでこんなしんどい思いをしなきゃ
いけないのか早く辞めたい。と思うのもヨットなのです。
6月29日 海漣ネットのロールコールで各艇の位置を聞いていると、現在、キアロアを抜いて2位にいる事が分かり全員大喜び。
ヨッシャ!!、このまま行キャー、優勝じゃ。
と、航海日誌に下手な字ながら力強く書いてあります。
6月30日 昼頃からあっちコッチに積乱雲が現れ、スコールを持って来ます、夜になると行く手に巨大な積乱雲の壁。
小さな雲の切れ目を見っけました、突っ切るしかありません。
周りは、稲妻ピカピカのトンネルをようやくの思いでぬけると、そこは信じられない様な静かな海でした。
オイルスキンを脱いで、振り返るとさっき通ったトンネルはもうありません。不思議だなア、、、
月の光に照らされた静かな海が行く手に横たわっています。
実にこの時、航海としては地獄から天国だったのですが、レースでは天国から地獄だったのです。
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初めて乗る4ft、
こんなに大きいとは…
使い方も分らない物
が多く、壊したり、宝の
持ち腐れになってたり。
ましてや、付いていた
コンピューターは,
使い方が分らず、
帰って一生懸命勉強、
おかげで、こんなホームページ
も簡単に作れるようになり
ました、ヨットのおかげです。
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台湾、花蓮から台北への
特急列車で、エリック
と再開、元気そう、彼女と
一緒に暮らしてる。 |
応援団と家族も楽しそう
娘は中学だったんですねぇー
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スタート前、
応援団にしばしの別れ、
メインセールを1ポイントリーフ、
酒と荷物をつみすぎで、
船も重たそう。
次にチャレンジする時は
半分で充分。 |
スタートして、ワイキキ沖のブイ
を回り、一路日本へ
前の2人、藤村君と
尚美ちゃんは,
このあとダウン、
1週間、飲めず、食えず。
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